2022年10月12日(水)

「主は私の切なる願いを聞かれた。主は私の祈りを受け入れられる」 詩篇6:9



ある人が対人関係で、どうしてもぎくしゃくする相手がいた。相手
の言葉や態度に傷つき、嫌な思いがあり、恨みが募ってしまう。
又、そんな自分に自己嫌悪にも陥る。辛い中、そんなこんなをある
がまま、主に助けを求めて祈り続けていた。そんな時に、何と自分
も相手と同じ失敗を、他の人にしてしまったのだ。

それは大事に至らずに済んだが、主の取り扱いだとわかった。自分
も罪人で、自我が強く、自己中心に、肉で行動してしまう事を思い
知らされた。相手を責めている自分も、同じ者だと砕かれた。そし
て別の人に相談を受ける機会があったが、それが複雑な生い立ちに
関するものだった。

心も屈折してしまいそうな、厳しい過酷な状況に言葉が無かった。
その相談者に愛情を感じ、祈りの重荷が与えられた。祈って行きた
いと思えた。そんな時にふと、嫌な相手から垣間聞いた生い立ちが
重なった。その時、相手への印象が変わった。

大変な所を通って来た事に思いが至り、思いを馳せた。これら二つ
の事が次々と起きて、相手への見方が変えられた事に気づいた。自
分も恥ずかしい肉の失敗をした事、厳しい生い立ちに思いが至った
事、まさにその時に相手を受け入れる事ができた。

これこそが「祈り」の答えで、わざである事を経験し、祈りの力を
見せられた。主は思いも、状況も支配しつつ、祈りに答えて下さ
る。祈って行こう。「しかし、確かに、神は聞き入れ、私の祈りの
声を心に留められた」。
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裁く自分の内にも罪があると、気づくことも自分でできない者だ。
切実に祈る祈りを主は聞いて教えてくださる。祈りはいつも受け入
れられている。主の答えを見張りよく悟っていきたい。