2023年10月12日(木) 「彼らはヨハネのところに来て言った『・・あなたが証言なさったあ の方が、バプテスマを授けておられます。そして、みなあの方のほ うへ行きます』」ヨハネ3:26
「彼らはヨハネのところに来て言った『・・あなたが証言なさったあ の方が、バプテスマを授けておられます。そして、みなあの方のほ うへ行きます』」ヨハネ3:26
ヨハネの弟子たちは、ヨハネへの人々の関心と人気が主に移った事 をひどく妬んだ。我が師びいきのゆえだ。しかしヨハネは違った。 人は天から与えられなければ、何も受ける事はできないと、すべて の主権が主にあることを信じ、受け入れ、認めていた。そのため、 主が下さるものを受けるだけだと。 他者に人気が集まり、他者が何かを受けるなら、それも主のなさる 事であり、自分がどうこう言う事ではない。ヨハネは与えられた 場、地位、能力をわきまえ、すべてにおいて満足していた。平安で あった。「満ち足りる心を伴う敬虔こそ、大きな利益を受ける 道」。多くの人々は、不満の中で生きている。満足は主からのもの だ。 主だけしか与える事ができない。私たちはどうだろう。他者が成功 し、業績を上げたなら、心がさわつくだろうか。今、与えられてい る境遇、地位、能力に、主を認めて受け入れる時、それに感謝し、 満足する時、私たちの心は、平安に守られる。この平安は何にも代 える事ができない。 「あなたの行く所、どこにおいても主を認めよ」しかし、あれが、 これが無い、ああで、こうであれば良いのに、今の境遇に不満一杯 だろうか。しかし視点を天に向ける時、主が与えて下さった現在の 境遇だ。そこで、主からの使命があり、そこでしか得られない、豊 かな祝福が備えられている。 主を認める時、見方が変わる。そこに御霊の働きがあり、不満が感 謝に変えられる。与えられているものを感謝し、満足できる。その 時、どのような境遇であれ、自分自身には幸福感がある。 --------------- 主が導いてくださり現在がある。横を見て羨ましく思うことがあっ ても、今を心から感謝しよう。どこにおいても主を認めて生きよ う。それは真に幸福で恵まれた人生だ。