2023年11月11日(土)

「しもべの主人は、かわいそうに思って、彼を赦し、借金を免除し てやった」マタイ18:27



人を赦す事の難しさを経験しただろうか。人を赦せない事ほど
辛く、苦しいものはない。心が重く、鉛を抱えているようだ。どんな
に楽しい時も、喜びの時も、その事が頭をよぎった途端、心は辛
く、暗くなる。喜びがぶち壊しになる。ペテロが何度まで赦すべき
かと、主に問うた。

その時に、主は7度を70倍するまでと言われ、王としもべの話を
された。6000億の借金の返済不可能なしもべを、王はかわいそ
うに思い、赦し、免除してやった。主の大きなあわれみだ。ところ
が、そのしもべが、100万を返金できない仲間を決して赦さず、
牢に投げ入れた。それを聞いた王は非常に怒り、そのしもべを
借金全額返済まで投獄した。

私たちはどうだろう。主の十字架により、すべての罪を無罪放免
にされた。何という驚くべき恵みだろう。自分はその大きな恵み
を受けていながら、人を赦さないとはどうだろう。そして赦さない
心は、牢獄の中だ。獄につながれ、暗闇の中で、がんじがらめだ。
苦しいのは相手ではなく、自分自身だ。主は、獄から光へと出
して下さる。救って下さる。

しかし、自分の側の意志と決意が必要だ。罪の性質は、赦せ
ないのではなく、決してどこまでも赦したくない。主は赦せるよ
うにして下さるが、心の底ではそうしたくない自分がいる。「どう
にもできません」と祈ろう。目の前の相手から逃げても、次の環
境で、又、別の相手がいる。自分が変えられる事が御心だ。主
は自由にして下さる。まず正直に「赦したくありません」と主に祈
ろう。

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「人にはできないことが、神にはできるのです」と、赦すことは、
人にはできない。自我は決して赦さないし、赦したくない。しか
し、神にはできることを経験して行く。まず祈りから始める時、、
みわざを経験して行く。