2024年03月12日(火) 「・・神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、その 刈り取りもすることになります。」ガラテヤ6:7
「・・神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、その 刈り取りもすることになります。」ガラテヤ6:7
創世記によると、主は「種類に従って」植物、草、種のある実を結 ぶ樹を生えさせ、種を蒔いて結実するようにされた。そのため、種 を蒔くと実がなり、蒔いたその結果を刈り取る。御霊のために蒔く なら、永遠のいのちを刈り取り、肉に蒔くなら、滅びを刈り取るの は、御言葉の通りだ。例外は無い。 そして主は「種類に従って」実を結ぶよう定められた。蒔いた種の 花が咲き、実がなる。コスモスの種はコスモスの花、かすみ草はか すみ草が咲く。スミレの種を蒔いて、ひまわりが咲くことは絶対に ない。「種類に従って」であり、原則だ。では、信仰と不信仰の種 はどうだろう。 信仰の種を蒔くなら、その結果を刈り取る。「神を信じなさい。」 「恐れないで、ただ信じていなさい。」との御言葉を信じているな ら、信仰の種を蒔き、その通りの結果を刈り取る。「何も思い煩わ ないで・・願い事を神に知っていただきなさい」の種を蒔くと「そう すれば、人のすべての考えにまさる神の平安」を刈り取る。 「神の国とその義とをまず第一に求めなさい。」の種を蒔くと、す べての必要の満たしを刈り取る。盲人に「そんなことができると信 じるのか」との問いに「そうです。主よ」と主に信頼を向けると 「あなたの信仰のとおりになれ」と言われ、目が開いた。不信仰の 種を蒔けば、その結果を刈り取る。 不信仰の種を蒔いて、信仰の実を刈り取ることはない。「種類に従 って」だ。日々どんな種を蒔いているだろう。信仰が持てないな ら、自分で頑張らず、まずありのままの心を、主に告げて祈ろう。 主は内側を照らし、修正し、御心へと導いて下さる。 ------------- ただ信じていればと思いながらも、心配でたまらず自分が主の前に 出てあれこれしてしまう。主に怖いですとありのままを祈りたい。 それは信仰だ。信仰の種を蒔こう。主に信仰を向け祈ろう。