2024年06月10日(月) 「・・大風が吹いて来て、家の四隅を打ち、それがお若い方々の上に 倒れたので、みなさまは死なれました。私ひとりだけがのがれて、 あなたにお知らせするのです。」ヨブ1:19
「・・大風が吹いて来て、家の四隅を打ち、それがお若い方々の上に 倒れたので、みなさまは死なれました。私ひとりだけがのがれて、 あなたにお知らせするのです。」ヨブ1:19
ヨブが子ども達、皆を失い、財産、家財の何もかもすべてを失っ た。その時に、ヨブは立ち上がり、上着を引き裂き、頭をそった。 そして、地にひれ伏し、主を礼拝した。その時に「主は与え、主は 取られる」と、主の御名はむべきかなと言った。「主は与えて下さ る」とは、誰しも喜んで言えるが、「主は取られる、主の御名はほ むべきかな」とは、なかなか言えない。 神はいじわるで、奪い取り、どこが愛なんだと言いそうだ。しかし ヨブはこれらすべてが、主から出ていると、はっきりと認めた。 主の絶対的主権を認める告白だ。その上で、主の御名を崇めたの だ。神を信じるとは、こういう事だと言われている。舞台裏では、 悪魔が、神にヨブを中傷した事が出て来る。 「ヨブはいたずらに神を恐れましょうか」と。人は、利得も無いの に神を信仰などしない、ご利益があるからこその信仰だと。しかし ヨブの言葉と対応、態度は、その悪魔の中傷と神への訴えを無力な ものとしてしまった。この世界には、損得、利得からでなく、神が 神であられるゆえに、信じる信仰、礼拝して行く信仰が存在すると いう事を、ヨブは証明した。 信仰者に試練は必ず臨む。それは非常に厳しいものかもしれない。 しかし神は愛なる、良い方で私たちに最善しかなさらない。どんな 時にも、そこに信じて立とう。私たちの生涯が、神が神であられる から、崇めて行くことを、証しして行けるとは、何と幸いなことだ ろう。 ------------ どんな中にあっても、背後におられる主の変わらない愛を信じよ う。試練に立ち向かうことは出来ないが、弱さのままで祈っている と、主の慰めや励ましに気づく。主を信じて立っていよう。