2024年10月12日(土)

「あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたし を信じなさい」ヨハネ 14:1

10月12日


不信仰とは、信仰が足りない事のように思ってしまうが、そうでなく、
不信仰とは、主を仰がず、自分の思い、自分の力、自分の判断、
自分の知恵を信じることだ。つまり、主を頼らず、自分の力を頼
って生きる事だ。不信仰とは、自分の人生の全主導権を自分が
握って生きる事だ。つまり、車の助手席に主を置いて、運転席に
自分が座る。

自分のプラン通りに、思い通りに生きる事だ。しかし自分主導の
ため、問題が起きると、すべてがずっしりと自分の肩にかかる。
それは重くて負いきれず、思い煩いに落ち込む。しかし真面目
に生きているつもりなので、気づかなかったりする。不信仰とは、
あくまでも軸が自分であり、見ているのは、主でなく、いつも自
分自身だ。そして自分のための神で、自分が良く生きるための
神だ。

不信仰とは、信仰の量の不足でなく、主に頼らないことだ。信仰
とは、自分の思いを捨てて、主の判断、知恵、主の心を求めて、
主に信頼して生きることだ。自分は車の助手席に座り、主に運
転席に座っていただくことだ。つまり、自分自身と自らの人生を
明け渡して行くことだ。主に、自分自身をゆだねる時に、奇跡が
起きる。自分中心にしか生きることの出来ない者が、少しづつ
少しづつ変えられて行く。

主を喜び、主に感謝し、自分の損得ではなく、主のお心を求め
て生きるようにされる。たとい自分の損になったとしても、主の
みこころを行なって行こうとする。自分の願望と欲が満たされる
事が、喜びであった者が、主の栄光を喜ぶ者に変えられて行く。
これは奇跡だ。主が変えて行って下さる。

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突如の事態が起きた時に、パニックになり、どっと不安に襲わ
れ心が騒ぐ。まさに主が飛んでいる。自分で考えるので、自分
に全部がかかっている。主を仰ぐ時に、ふっと我に返る。御言
葉に立ち返れて、心が落ち着いて来る。主を仰ぎ、祈ろう。