2025年03月12日(水)

「おまえがあんなに頼んだからこそ借金全部を赦してやったのだ。 私がおまえをあわれんでやったように、おまえも仲間をあわれん でやるべきではないか」マタイ18:32



王が、Aに6000億を貸した。清算の時になったが、Aは返済不能で、
ひたすら懇願するので、王はかわいそうに思い、赦してやった。そ
して6000億の借金を全額免除にしてやった。Aは借金から解放され
て、どんなに喜び踊ったことだろう。そのAが出て行くと、Bに出
会った。Aは、Bに100万貸していた。

ところがBも100万を返済できず、Aに、必ず返すから、もう少し待
ってくれと懇願した。しかし何とAは赦さず、Bを牢に投げ入れた。
その事に心を痛めた仲間たちは、事の次第を王に報告した。すると
王は怒って、Aを借金を全額返済するまで、投獄した。せっかく王
のあわれみで、免除された借金が、自分に負債のある者を赦さなか
ったばかりに、また負債が返って来た。

Aの免除された6000億は、そのままなのではなく、王が肩代わりし、
その負債を負うのだ。何というあわれみだろう。測り知れない莫大
なあわれみを受けているのに、少しの借金のある人をあわれむ事が
できない。どこまでも自己中心で、これが罪の性質であり、私たち
の姿だ。自分は神に全面的に赦されているのに、人を赦す事ができ
ない。

ここに二つの道がある。自分を変えずに恨みと憎しみを抱いたまま、
辛く生きて行くか。そうではなく、自分が変えられて、主に喜ばれ
る、栄光が現わされる道へ向かうか。岐路にいるだろうか。自分に
はできない。しかし主には可能だ。主は赦す力を下さる。前進を祈
って行こう。
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多くの負債を赦された者なのに、簡単に忘れてしまう。肉の思いの
まま裁いていくとき、赦された罪の大きさに気づきたい。そして赦
されながら生きられる恵みに感謝したい。