2025年04月10日(木)

「しかし、もし神が光の中におられるように、私たちも光の中を 歩んでいるなら、私たちは互いに交わりを保ち、御子イエスの血 はすべての罪から私たちをきよめます」Tヨハネ1:7



ある女性が、隣家の主婦に悶々状態であった。何かにつけて、自己
主張や自慢が苦手だった。自分自身も嫌なのに「ノー」が言えない
弱さがあり、ずるずると引きずられ、隣人が苦痛になっていた。き
つく、はっきりした物言いに、しばしば傷つき、隣家で顔を合わせ
るので、逃げることも出来ず、心重い日々だった。

しかし自分はクリスチャンであり、相手の言動にかかわらず、礼儀
正しく接するようにしていた。良い関係をと祈るのだが、やはり傷
ついてしまい、涙ながらに祈る事もあった。そんな中、夫に転勤辞
令が出た。突然の事だった。目まぐるしく準備し、業者のトラック
を見送り、自分は列車で向かった。

あれやこれや溢れる思いが巡り、今までの事を思い返していた。苦
しい状況に終止符が打たれ、解放され、安堵のはずなのに、自分の
心は、なぜか晴れなかった。曇ったままだった。その心の内を、祈
りに持って行き、洗いざらいを告げながら、祈っていた。その中で、
相手に対する、赦せない思いがある事を示された。

ずっと傷つけられていて、心の奥は憎しみと、恨みと根深い赦せな
い思いでいっぱいだった。はっきりと憎んでいた。相手が相手だか
ら、自分にこういう思いが出て来ると、自己正当化したいのだが、
平安が無い。平安の無い状態は苦しい。主の御前に祈り、心から悔
い改めた。深い安堵が来て、心がすっきりした。主の赦しの恵みを
豊かに経験させられた。
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言葉に出さなくても、心にある苦い思いは外に現れていたかも知れ
ない。自分の内は状況に反応しすぐに闇の中だ。平安がない。主の
下に罪を悔い改め、光の中に留まりたい。