2003年08月12日(火) 『もし自分の心に責められなければ、大胆に神の御前に出ることができ、また求めるものは何でも神からいただくことができます。なぜなら、私たちが神の命令を守り、神に喜ばれることを行っているからです』(Tヨハネ3:21)
『もし自分の心に責められなければ、大胆に神の御前に出ることができ、また求めるものは何でも神からいただくことができます。なぜなら、私たちが神の命令を守り、神に喜ばれることを行っているからです』(Tヨハネ3:21)
祈りが何だか一方的で、聞かれている感じがせず、 壁に向かって祈っているようだと感じる事あがある か。祈りが味気なく、日々の日課、儀式になってい ないか。祈りは神との交わりだ。神は人格をお持ち であり、生き生きとした人格的交わりだ。 しかし一方的に感じるなら「神のみこころは何か、 何が良いことで神に喜ばれることなのか」を求める 必要がある。自己中心な一方的な神のお心を無視し た祈りをしていないか。 又、要求するばかりで、神の示しておられる事を拒 否したりなおざりにしていないか。神の喜ばれない 態度や、行動がないか。それらを悔い改め正す必要 があるかもしれない。生活をよく点検してみよう。