2003年11月11日(火)

「・・またユダヤの全地方に、さらに異邦人にまで、悔い改めて神に立ち返り、悔い改めにふさわしい行いをするようにと宣べ伝えて来たのです」(使徒26:20)


子供の頃、兄弟喧嘩をした事がないだろうか。
親がいつも間に入り、喧嘩を止め、双方に頭を
下げさせ「ごめんなさい」を言わせたのではない
か。しかし、納得が行かないので、親の手前、
仕方なく互いに謝るが、親がいなくなると、又
喧嘩を始めた事があったかもしれない。
強いられた謝罪は心に何の変化も起こさず形だ
けで何の役にも立たない。私達の神への悔い改
めはどうか。
もし真に悔い改めるなら、必ず事態や心に変化
が生じる。悔い改めにふさわしい実を結ぶよう
になる。生活が変えられ、自分自身が変えられ
て行く。だが「口先で近づき、唇であがめるが、
その心は遠く離れている」なら何一つ変わらな
い。私達はどうだろう。