2004年07月12日(月)

「まして神は、夜昼神を呼び求めている選民のために、さばきをつけないで、いつまでもそのことを放っておかれることがあるでしょうか」(ルカ18:7)

失望しないで、いつでも祈るべきである事を、主は教えられた。やもめの例えで裁判官のもとに、ひっきりなしに来るやもめが、余りにうるさいので、裁判をする事にした。ある種の祈りは、祈り続ける必要がある事を教えている。私達の祈りはどうか。一度きりか。突然思いついては祈り、祈った途端忘れ、翌日には祈った事すら忘れている。つまり実際には何も求めていない。私達は真に重荷のある事、本当に必要な事だけ祈り続ける事ができる。ある人が、自分の家族の救いを祈るが、見えるところは何の気配もなく、答えられているように感じない。しかし、やもめのように、神を困らせるほど祈ったことがない事に気づき、昼夜と祈り始めた。やがて両親共に救われた。失望しないで祈り続ける事が必要。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
しばらく祈って答えがないと、すぐ諦めてしまっていないか。あの祈り、この祈りへと、次々祈りが飛んで行く。何を祈ったかさえ覚えていない。失望しないで、忍耐もって祈り続ける、その祈りを神は喜んで下さる。そんな祈りを始めよう