2004年10月11日(月)

「キリストのうちにあるなら、その人は新しく造られたものです。古いものは過ぎ去って、みよ、すべてが新しくなりました」(Uコリント5:17)


青少年の非行の原因をその生育歴や親の育て方が悪いとするのは一般的だ。しかし、欠点のある親に育てられた者のすべてが非行に走るわけではない。それは責任転嫁だ。私達の内にある罪の性質が生来の性癖で、どんどん曲がった方向へと培われて来たかもしれない。しかし、新生して神の子とされる時、新しい性質が与えられる。キリストに接木されたのだ。接木された元の木であるキリストから新しい養分がどんどん流れ込む。全く新しい自分が誕生したのだ。何という恵みだろう。新しい選択が可能だ。古い罪の性質に向かう性向を拒否し御霊が導く神のために実を結ぶ方を選び取る。救われて新しく生まれた時、この選択が可能になった。御霊によって「出来る」
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私達の生き方は、今までの経歴には関係なく、主からの養分で日々造り変えられて行く。養分はすでに与えられているのだ。過去の自分に囚らわれてはいけない。