2005年07月12日(火)

「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである」(Uコリント17:9)

自分の心底の弱さを認めさせてくれるのは、試練だ。
順境の時は、弱さは意識せずに生活している。そし
て、人間は誰しもプライドゆえに、自分の弱さは認め
たくない。頭では認めているつもりだが、完全無力は
惨めで認められないのだ。肉はどこまでも、自分の力
を認められたいし、自分が評価されたい。しかし、完
全無力でない限り、神に拠り頼む事など不可能だ。頭
でしかない。頼る意味すらわからない。試練はその自
らの無力を知らしめてくれる、大きな恵みだ。パウロは
命までも危険になり、死を覚悟した。その時にもはや
自分自身を頼まず、神により頼んだ。試練には意味が
あり、目的があり、私達を造り変えてくれる。振り返っ
ても、自分が変えられたのは、試練の時ではなかっ
たか。
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自分の力があり、自分でしている限り、神は働く事が
出来ない。自分が神を妨げている。神が働けるのは弱
さの中だ。信仰の成熟とはどれだけ砕かれたかだ。
自分の弱さを真に知り、自分が砕かれる逆境こそ、実
は大きな祝福の時だ。