2005年09月10日(土) 「だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦その日その日に、十分あります」(マタイ6:34)
「だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦その日その日に、十分あります」(マタイ6:34)
心配している時は、全く信仰が無い。 心配と信仰は同居しない。思い煩いは 罪だ。小さな事では無い。神と御言葉 を足げにする事だ。 「そんな事はあり得ない」「嘘だ」と 言っている事だ。神は導くと言ってお られるのに、思い煩うのは神は嘘つき だと言う事であり、神への侮辱だ。 どうすれば心配せずにすむのか。神を 第一にして生きる事だ。神を第一にし て生きていないところから思い煩いが 生じる。ある失業中の婦人は心配した からといって、自分の命を延ばす事が 出来るかの御言葉にその通りだと心か ら納得し、思い煩いを止めた。失業中 も全き主の平安の中に守られ、その後、 職が与えられた。その姿に、周囲が大 きく恵まれ励まされた。主の栄光が現 された。 -------------- 必ず導いて下さる。今の状況を知って いて下さるのだから、何も心配する事 は無いのに、とりあえず自分で策を練 ってしまう。思い煩いへのお決まりの パターンから信仰によって勝利しよう。