2006年06月10日(土)

「アジアでみことばを語ることを聖霊によって禁じられたので・・」使徒16:7

パウロは小アジアに進もうとした時、聖霊に
よりストップがかかった。次にビテニヤへ行こう
とした。すると、またも止められた。それでトロ
アスに向かい、そこで、マケドニヤを示された。
全く想定外の事が起こる。アジアもだめ、ビテ
ニヤもだめ、「なぜ?どうして?」何もかも塞が
れたと感じたろう。しかし、人間の計画挫折の
裏に、実は神の高い深い計画、ヨーロッパ伝
道が隠されていた。パウロはマケドニヤに渡る
願望があったのではない、むしろアジアやビテ
ニヤへの思いが強かった。それで神はストップ
をかけられ、御心の道へと誘導された。人の思
いと神の思いはしばしば異なる。思い通りでな
い。しかし、神のご計画は常に最善であり、私
達の側で次善に見えるものが、実は最善なの
だ。門を閉じられたなら御心ではない。そこで
意気消沈し続けるのでなく、祈って、神の心と
導きを求めよう。神は責任もって、別の門を開
いて下さる。その開かれた門に進んで行く時、
思いを遙かに越えた素晴らしい祝福が備えられ
ている。そして、神のされる事は最善だと、喜び
もって知る。
・・・・・・・・・・・・・
パウロは、立てた計画があっちもこっちもくじかれ、
心砕かれた。砕かれたからこそマケドニヤへの
御心が確信できた。「ただちに出かけ・・確信した
からである」自分の思いが砕かれる時、神の御思い
がはっきりわかる。