2006年08月12日(土)

「このように、あとの者が先になり、先の者があとになるものです」マタイ20:16           

先の者が後になり、後の者が先になるから
には、何かの重大な理由があるはずだ。そ
れは、その働きの動機や態度を見られると
いう事だ。会社員が会社で働く時、動機ま
で問われる事はまず無い。結果さえ出せば
良い。それがこの世の価値基準だ。しかし、
神の国では違う。主はすべてを捨てて従っ
た弟子達のその動機、働きの動機までも見
られる。最初の者達は、一日の終わりにそ
の「動機」が明らかになった。「一日中辛
抱した」。辛く苦しく、主人のために働く
事はしんどい事であり、一デナリと判明す
ると、不満と怒りが爆発した。自分達には
もっと貰う権利があるとの立場だ。実は早
朝から糧が保証されて、夕刻になると必ず
入って来る。心平安に一日働けるとは何と
いう恵みだろう。夕刻まで糧の無い人々は、
待つ家族を思い、どんなに煩い、不安と恐
れにあっただろう。神はその人達を、その
家族をあわれまれた。良かったねと思えな
い、祝福できないすべて勘定づくの「自我」
だ。主人の心は愛と慈しみだ。又「一デナ
リ、相当のもの」の約束履行し何の不正も
無い。自己中心の目には、神の心が全く見
えない。私達はどうだろう。今の生活、感
謝も喜びも無く不満タラタラ、神のために、
してやっているとの態度か。態度と動機を
探ろう。
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視点によって、考え方も生き方も何もかもが
変わる。損得でしか考えられない者が、朝早
くから、主人のために働けることの感謝と幸
せが見えて来る。喜びで一杯になる。視点を
変えない限り見えない。「人が主に向くならそ
のおおいは取り除かれるのです」