2006年11月09日(木)

「わたしのくびきを負って・・たましいに安らぎが来ます。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです」マタイ11:30 



くびきとは、畑を耕す時に同方向へ二頭
の家畜を進ませるために、板に二つの穴
を開けたものだ。その穴にきちんと頭を
入れるなら、からだにピッタリ合って快
適だ。主のくびきは快適なのだ。安らぎ
をもたらすものだ。しかし、嫌がって、
くびきを避けようとするなら、首を締め
付け、痛くて苦しいばかりだ。主に与え
られた環境をしっかりと受け入れるなら、
それは快適で安らぎをもたらすものにな
る。しかし、避けて逃げようとするなら、
ますますもがき首を絞め、自分を束縛す
るばかりで、苦痛でたまらない。こんな
面白い話がある。人には負うべき十字架
が一人一人にあるが、それが嫌で人の十
字架が良く見える。それであちこち替え
ては試してみるが、どれも自分の身体に
合わない。取り替えては試し、最後にと
うとう自分にピッタリ合う十字架があっ
た。すると、それは最初に嫌で捨てた十
字架だった。主のあなたに与えられたく
びきは、匙加減ピッタリだ。あなたのた
めのくびきだ。しっかり負うなら快適で、
安らかで、そして学びを得て成長して行
ける。    
・・・・・・・・
一人一人に主が与えて下さったくびきが
ある。それは一見、嫌で苦しみに見える。
しかし、しっかりと負うなら、心底平安
が来て、主の愛や潤いを知る。今までも
経験して来たところだ。逃げずに負う事
を祈ろう。