2007年07月12日(木)

「夜が明けそめたとき、イエスは岸べに立たれた。けれども弟子たちには、それがイエスであることがわからなかった」ヨハネ21:4


主の復活の後、ガリラヤに戻って
来た弟子達、しかし、主を裏切っ
たペテロの心はどんなものだった
ろう。どの顔をして会えばよいの
か。心は沈み、重苦しく、空虚感
の中で、食べる物も無く、漁をす
る事に。ベテラン漁師達だったは
ずが一匹もとれない。挫折感と無
力感、疲労感、虚しさが心に広が
る。そんな時、誰かわからないが、
岸から声がかかる。「食べる物が
ありませんね」「はい。ありませ
ん」と認めた。私達も学ぶ事がで
きる。自分のありのままの姿を、
はっきり直視する事が大切だ。
「ありません」どんなに見たくな
くても、逃げたくても、惨めで無
力な姿を、現実直視する事から始
まる。そして「舟の右側に網をお
ろせ」と言われる通りにすると、
何と大漁だった。以前に同じ大漁
の場面があった。忘れる事のでき
ないものだ。同じ光景だ。直感力
と洞察力のあるヨハネがすぐに見
抜いた。「主です」。ペテロは湖
に飛び込んで、主のもとへ向かっ
た。岸辺で食べ物を用意して待っ
ていた下さった主は、ペテロにご
自身を現わし、ペテロの信仰を回
復させて下さった。徹底的無力を
知ることが幸いだ。そここそが主
に出会える場所だ「夜が明けそめ
たとき、イエスは岸べに立たれた」
。どん底の私たちの前に立って下
さる。そして、夜明けを与えて下
さる。
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自分の無力を知り、不信仰を知る
時こそそこに主を見あげる時だ。
落ち込んで自分の内側ばかり覗き
込むのではなく、主を見よう。
主に支えられて歩む信仰生活がそ
こから始まる。