2007年08月12日(日)

「彼らは信仰によって、国々を制服し、正しいことを行ない・・また、ほかの人たちは・・拷問を受け、石で打たれ、牢に入れられ・・」ヘブル11:33


ある人々には、超自然の奇跡がなされた。
獅子の口がふさがれ、炎に焼かれず、剣から
守られ、戦争をすれば勝利し、死人がよみが
えった。しかし、他の人々は拷問、投獄、石
で打たれ、のこぎりで引かれ、殺され、奇跡
は起きず死んで行った。同じ信仰の勇者とさ
れている。ある人は奇跡で命が救われ、別の
人は殉教して行った。これは神が全主権を持
たれ、御心のままを行われるという事だ。ど
ちらの人々も「信仰によって」生き、どちら
の結果も神の栄光のためだ。ある人が病を患
い経済的にも困窮し、日毎の糧にも困る状況
だった。神にお委ねし、ただ神に頼り祈った。
ところが奇跡は何もなく、更に窮状に追い込
まれて行った。祈りが積まれるが、病気が治
るとか、必要が与えられるとかは何もなく、
どん底になった。しかし、不思議な事に、彼
の心に感謝が溢れ、喜びが溢れ、それは自分
ではなく、御霊からのものだった。状況はど
ん底なのに、感謝が溢れるのだ。最悪の中で、
感謝と喜びに溢れている彼の姿に、周囲の人
々は信仰に火がつき、リバイブされて行った。
信仰が揺らいでいたある人は、彼により生涯
の信仰が定められ、牧師となって行った。神
はご自身の望む通りに御心をされる。どうで
あれ従おう。神の栄光が現される。
・・・・・・・
華々しい奇跡だけが神の栄光ではない。何も
起こされない事もある。しかし、それが神の
御心であり、甘んじて受け感謝して行く時、
そこに神の栄光が現される。「信仰によって」
生きているからだ。