2007年10月12日(金)

「私はほかの人々のように、ゆする者・・ことにこのような取税人のようではないことを感謝します」ルカ18:11




パリサイ人は宗教的であった。外側
は、人をゆするわけでなく、姦淫せ
ず、断食して祈り、十分の一献金を
していた。しかし、心では自分を正
しいとし、人を見下していた。ここ
では「人」と比較して、自分を量っ
ている。神の前ではあるが、神に対
してでなく、人に対しての自分だ。
そこに神は無い。人と比べて自分は
どうかがすべてだ。人より優ると優
越感、人より劣ると劣等感に陥る。
生涯、優越感と劣等感の間を浮き沈
みする。このパリサイ人は、一応神
の前にいると思っているが、見てい
るのは人だ。あの人より自分はまし、
この人ほど悪くないと、人を量りに
かけ自分の正当性を保つ。取税人は
明らかに罪人だった。ローマ帝国の
手先となり同胞から税金を取り立て、
私服を肥やしていた。ただ神と自分
しかそこになく、人がどうこうなど
思いも及ばなかった。神に向き合う
時、自分の本当の姿が、罪が見える。
見えるから、悔い改め赦される。人
に向くなら、自分の姿はいっさい見
えず、暗闇の中で、自分を誇り、高
ぶるばかりだ。優越感も劣等感も根
は同じで、「高慢」だ。そして次に
は、このパリサイ人を見下し、自分
を正しいとし、私は、パリサイ人の
ようではない事を感謝しますという、
自分がいる。神に向いて、光に照ら
されよう。
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変わらなければならないのは自分だ。
人は関係ないので劣等感も優越感も持
つ必要はないことが感謝。ありのまま
の自分を神様にさらして、いつも変え
られますようにと祈りたい。