2007年12月12日(水)

「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神のわざがこの人に現れるためです」ヨハネ9:3


病気は痛いし、苦しい。辛さゆえ
に、なぜ?と思う事だろう。しかし、い
つも言われる「問題が問題なのでなく、
問題に対する私達の態度が問題」
の通り、病気に対する態度が問題で
あり大事な事だ。いつも試練の時に、
二つの態度が取れる。一つは否定
的に取る。不運、諦めの態度を取る。
感情も押し殺し、ひたすらうずくまる。
あるいは、心屈折させて反抗的にな
る。すねて怒る。自分の世界に閉じ
こもり、自己憐憫に陥る。これらから
言える事は、そこには何の実もないと
いう事だ。何の良い実も結ばない。ま
すます心頑なになり落ち込む。もう一
つは試練を真正面から受け止める道
だ。神がおられるのだから、偶然は無い。
たまたま不運なのではない。そして、
神に無駄は一つも無い。何らかの目
的があり意図がある。自らのためであ
り益のためだ。神は良い方であり最
善以下のものは与えられない。苦し
みの中で、神の愛と最善を信じて行
く時、状況は同じでも、自分の目が
変えられる。視点が変わる。すると、
ますます神と神の愛が見えて来る。
それは信仰によって見えるものゆえに。
苦しい、悲しい事態が起こる。しかし、
主のものとされた、私達の生涯は、
それらはことごとく「神のわざが現れ
るため」だ。すねて反抗するか、神の
わざを見て行くか、私達の選択だ。
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「神のわざが現れるため」今、目の前
に起きている苦しみや悲しみは、神の
栄光が現されるためだ。神の視点に
立つ時、信仰が与えられ、希望と
期待が生まれる。
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