2008年02月10日(日)

「この息子は、死んでいたのが生き返り・・」ルカ15:24

弟息子は父親に一片の感謝もなく、父
親が窮屈であった。財産をもらって、
家から出て行きたかった。生きている
父親に財産を要求するなどと「父親よ、
死んでくれ」と言っているようなもの
だ。彼は何をしたのか。「遠い国に旅
立ち」「放蕩して湯水のように財産を
使った」「遊女におぼれて身代を食い
つぶした」つまり、誰にも邪魔されず、
好きなように、自分の思い通りに、自
分の肉の欲望を遂げ、気ままに生きた
かったのだ。ごちゃごちゃ言う父親が
窮屈で、とにかく好き放題にしたかっ
た。自らの意志で父から離れた。そし
て、財産を使い果たし、食べるに困窮
し、豚の番人をするが、誰一人彼を顧
みてくれる者もいなかった。誰からの
愛も無かった。心身ボロボロになり、
何の手だても無くなった時に、我に返
り、すべてのこれらの原因が、父のも
とを離れた事にあると気づいた。それ
で父のもとへ帰ろうと思った。しかし、
父を足蹴にし、裏切り、傷つけ、自分
勝手に家を出た。好き放題の放蕩三昧
し、とても受け入れられるとは思えな
かった。それで、雇い人にしてもらお
うと考えた。しかし、父の愛は、人知
では到底測り知る事のできない愛だ。
悔い改めの告白の言葉を準備したが、
それを言う前に抱きしめられた。父の
大きな喜びは、死んでいた霊が生き返
る事だ。
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人は手だてがある限り、神ではなく自
分に頼る。何の方法も無くなった時に、
初めて神に頼る。真に神に出会う。行
き詰まりは本当に素晴らしい恵みの時
だ。