2008年03月12日(水)

「神は、ご自身の大きなあわれみのゆえに・・私たちを新しく生まれさせて、生ける望みを持つようにしてくださいました」Tペテロ1:3

エデンの園で、善悪の知識の木の実を
食べた、アダムとエバには自意識が生
じた。それ以来、たえず自分が自分を
見て、量り、さばくようになった。人
がどう見ているかを、人でなく、自分
が量る。結局人が恐れているのは、人
の目ではなく、実は自分の目だ。自分
が、自分の一番厳しい審判者だ。自分
で自分を追いつめ、束縛するようにな
った。それゆえ、恐れと不安が生じ、
恐れる者となった。人ではなく、自分
が自分をさばく。自分の中に敵をかか
えていて、自分を一番傷つけているの
は、相手や周囲でなく、自分自身だ。
これがアダムの罪の結果だ。自分から
逃れられない。自我、自己愛、自己中
心、自己防衛、自己憐憫どこまで行っ
ても自分、自分だ。ここから救うため
に主キリストが来て下さった。この罪
を引き受け、荒野で蛇が上げられたよ
うに、呪われた姿で十字架にかかられ
た。アダムの違反により罪人となった
私達は、キリストにより義人とされる。
この自己にがんじがらめの呪いから解
放され、死からいのちへ移された。
「・・信じる者は、死からいのちに移っ
ているのです」完了した。移転途上で
なく、すでに移り終わった。そのいの
ちは、神を親とし、神の子供として生
まれ、神の性質を持ついのちだ。
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自分をがんじがらめにするのは、人の
目ではなく、実は人がどう見ているか
を意識する自分の目だ。どこまで行っ
ても自分だ。十字架によって、古い自
分は死んだ。今日も信仰に立って歩も
う。