2008年04月09日(水)

「私が言っていることをよく考えなさい。主はすべてのことについて、理解する力をあなたに必ず与えてくださいます」Uテモテ2:7


主は「よく考えなさい」と言われる。
理性、知性は神からのものだ。祈りの
中でそれらを使って、信仰生活に必要
な導きを判断できるようにして下さる。
些細な事は常識で判断すればよい。例
えば、どの服を着ようか、どの店へ行
こうか、神が与えて下さっている常識
内で判断して行なえば良い。紅茶か
コーヒーかの判断で深夜祈祷する人は
いない。神はある時、信仰により、常
識を超越した事をされる事がある。し
かし、決して非常識な方ではない。信
仰は非常識ではない。秩序の神であっ
て混乱の神ではない。礼儀に反する事
もされない。目の前の状況もよく見て、
判断する事が大切だ。一羽の雀すら、
父のお許しなしに地に落ちることはな
い。身に起こる出来事の一つ一つが、
全知の御父の支配の中だ。状況を通し
て、教えようとされている事がある。
ある時、突然、門が閉じられる事もあ
る。アジアで御言葉を語る事を閉じら
れたパウロのように。ビテニヤの方へ
行こうとしたが、それも閉じられトロ
アスに下った。そこで幻を見てマケド
ニヤに渡った。門が閉じられる事は、
「別の導き」があるという事だ。パウ
ロは思いを越えてヨーロッパ宣教へと
導かれた。祈りの内に、御言葉や状況
に目を留めつつ、神の下さった理性、
知性を用いて、神の導きを判断して行
こう。御霊が助けて下さる。御心の道
は最善であり、最も安全であり喜びだ。
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私達の信仰は狂信、盲信ではない。理
性を働かせるように言われている。御
言葉、状況、祈りの応答を照らし合わ
せ、主の言わんとされている事をよく
考えよう。