2025年05月12日(月)

「ユウオデアに勧め、スントケに勧めます。あなたがたは、主に あって一致してください」ピリピ4:2



この前の節で、ユウオデヤとスントケに、主にあって一致するよう
にと勧めている。教会宛の手紙に、個人名を出してまで勧めている。
その具体的な状況はわからないが、何か争いがあったのか、一致が
無かったようだ。周囲にも彼女たちを助けるようにと懇願している。
そしてそのような中で、「喜びなさい」と繰り返し二度言っている。

状況的には喜べない問題の最中にあって、状況がうまく行っている
から喜ぶのでなく、「主にあって」喜べと言う。状況でなく、主だ。
ラッキー、ハピーな事、喜ばしい事があれば、誰でも喜べる。だが、
誰しも悩みの中では、落ち込み、重苦しく、暗くなり、沈み込んで
しまう。教会内でも仲違いがあり、喜びとは真逆の感情に向かって
しまう。しかし、主にあって、信仰によって喜べると。

そして「寛容な心をすべての人に知らせよ」と。十人十色で、十人
いれば、皆、意見や考え方は違い、好き嫌いも違う。生い立ちがや
境遇が違い、価値観が違うから当然だ。しかし皆、背景の違う人々
が、「主に在って」なら一致できる。主が接点だから。主は一つ、
信仰は一つだ。自分の思い、肉の思いを捨てて、皆が、主の御心を
求め、御言葉を求めるなら、そこには必ず一致がある。

そしてそこに立つ時に、違う人々が受け入れ合える。そして、「何
も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもって」祈れと。こ
とごとく問題を、悩みを、そのまま主のもとに持って行き、主に打
ち明けてよと。何があろうと、何も思い煩わなくてよいとは、何と
いう恵みだろう。今、抱えている問題をそのまま主に持って行こう。
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お互いに妥協して一致を、との肉の思いではなく、主にあって、共
に主を仰いで、御霊によって一つ思いになりたい。裁いたり、赦せ
ない思いがあれば、主に祈っていこう。