2009年10月29日(木)

「あなたが・・あなたのひとり子を惜しまなかったから、わたしは確かにあなたを大いに祝福し・・あなたがわたしの声に聞き従ったからである」創世記22:15

 
イサクはアブラハムが待ちに待った子供だった。長い間待ち望んだ、目に入れても痛くない愛する子であった。
老齢になり、子供は不可能となった時に授かった子供であり、あなたの子孫は、空の星のようになると言われた、約束の子であった。

そのイサクを、神は全焼のいけにえとして、献げるようにと命じられたのだ。もう十分この世界で生きて、年老いた自分が死んだ方が楽だったろう。
そして、何よりイサクが死んだなら、神の約束はどうなるのか?アブラハムの心情は書かれていないのでわからないが、御言葉によると「翌朝早く」従った。

神の約束は真実なはず、イサクはどんな方法でか、生き続けなければならない、しかし、今、殺せと言われる。これはどういう事になるのか。神は死を越えて、約束を成就して下さるはず、アブラハムは、神がイサクを生き返らせることができると信じた。結果的に、神が寸前に阻止され、代わりの子羊を備えて下さった。

アブラハムは試された。そして神を選び取った。大いに祝福された。「あなたがわたしの声に聞き従った」と言われた。私たちにも厳しい試練が臨む。それを逃れ避けようとする自分の肉の声、愛する者の声、周囲の声、様々な声が聞こえる。その時に唯一従うべきは、神の御声だ。今、あなたにも神の御声が臨んでいるか。
------------------
最愛のイサクを献げるアブラハムの葛藤は、私達にも臨む。自分中心の選択は魅力的で上手く行くように見えるが、それは解決ではない。試みを見ていて下さる神の御愛を信じて一歩前進しよう。