2010年03月29日(月)

「ところが、青年はこのことばを聞くと、悲しんで去って行ったこの人は多くの財産を持っていたからである」マタイ19:22


永遠のいのちを得たいと、「どんな良いことをしたらよいか」と、主のもとに来た青年に、主は、「良い方は、ひとりだけです」と答えられた。彼は、主が、何かを行なう事ではないと、言われたに関わらず、行なおうとの思いに満ちていた。

主は、この間違いを教えようとされて、律法を持ち出された。律法は、自分の力で良い事ができない事を教えるためにある。青年に、良い事とは自分にはできない事を知らせようとされた。「殺してはならない・・あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」しかし、彼は「そのようなことは、みな守っている」と答えた。

そして「何が欠けているのか」と。すると、主はその財産を貧しい人に与えるように、言われた。もし、彼の言うように、律法を守っているなら、隣人を愛しているのであり、貧しい人々に施したはずだ。しかし、できなかった。

自分の力では、律法を守れない事を、主は認識させたかった。だからこそ、「良い方」がおられることを。しかし、彼は財産を捨てる事ができず、主のもとを去ってしまった。

私たちも、財産=自分の力、自分でする良い行ない、自分で律法を守る事を、捨てたくないだろうか。プライドが深く関わっている。自分の力で、神に従おうとするだろうか。自分を捨てる時、「良い方」が、行ないをさせて下さる。
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自分の力で昨日まで出来た事が、今日は出来ないかもしれない。しなければ、するべき・・のやせ我慢を素直に認め、主に力を求めよう。自分を明け渡す時、一つ、また一つ主が教えて下さり力強く歩んでいける。