2010年04月28日(水)

「だれでに、昼間歩けば、つまずくことはありません。この世の光を見ているからです」ヨハネ11:9


ラザロが死んでしまった後、主は「ユダヤに行こう」と言われた。すると弟子たちは、ユダヤに行くと石打ちに会い、殺されてしまうと。その時に主は「昼間歩けばつまずくことはない」と言われた。わたしに従ってさえいれば、大丈夫だと。

状況の問題でなく、主の問題であり、御心の中にあるかどうかが大切と。つまり、主に従った歩みが、昼間歩くことであり、従わない事が、夜歩くことだと。「夜、歩けばつまずきます。光がその人のうちにないからです」主から目を離した途端、私たちは、すぐにつまずいてしまう。

この苦しみ、この悲しみは、「何で?」「どうして?」疑いや不安、恐れに襲われる。暗闇に入り、つまずき倒れてしまう。しかし、主を見上げているなら、私たちの内の光は赤々と輝き、明るい。どんな暗い中でも、困難な中でも、歩んで行ける。決してつまずくことがない。

なぜなら、光を見ているからであり、光があるので歩んで行ける。そして、主に従い、御心に従って行くと、私たちの内にいのちの光が輝く。状況は最悪でも、心に御霊の喜びがあるので、進んで行ける。罪の性質は、肉は、暗闇を愛してしまう。

肉は自分の欲望を遂げたい、思い通りにしたい。今、岐路に立っているなら、神の御心を選ぼう。どんなに困難に見えても、「昼間歩けば、つまずくことはない」前進して行ける。神を見ているからだ。
----------
みこころの内を歩んでいるなら、ただ信じて踏み出すことが出来る。肉の思いで落ち着きなく暗闇に歩いているだろうか。平安はあるだろうか。神を見上げ、光の中を心広やかに歩いていこう。