2010年07月29日(木)

「主に信頼し、主を頼みとする者に、祝福があるように。その人は・・水のほとりに植わった木のように、流れのほとりに根を伸ばし」エレミヤ17:7


私達は生涯、そして日毎に何かに頼って生きている。自分は、自主独立だと言う人がいるが、聖書的にはあり得ない。人間は被造物ゆえ、何かに頼らなければ生きて行けない。神に頼らなければ、他の何かに頼ることになる。

自分の力や考え、又、人に頼り、富に頼る事になる。「自分の悟りに頼るな」とある通り、自分は頼りにならない。富はどうだろう。富に頼る人は多い。富が夢を叶え、幸せを与え、人生を保障してくれると錯覚する。富が神になり、偶像になる。しかし、富は愛も、罪の赦しも、真の喜びも平安も与えてはくれない。

ところが、主に信頼する人は、水のほとりに植わった木だ。日照りに関わらず、どんどん成長して行く。他の木々が枯れたとしても、水分を豊かに得て、葉を青々と茂らせる。供給源が別の所にある人生だ。主に信頼する人は、このような人生を歩むと。この世界とは、別の所に根を張り、神から直に供給を受ける。

それゆえ、どのような苦しい状況でも、神からの供給があるので、決して枯れる事がない。主は、このような別の供給源によって、生きる人生があるという事を、私たちを通して、この世に証ししたいと願っておられる。

私たちは、すでに水のほとりに植えられている。それゆえ、主との交わりによって、暑さが来ても暑さを知らず、瑞々しく生き生きと歩むことができる。
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肉の思いやまたサタンからの誘惑の声、世からの多くの情報の処理で気がつくと霊的に枯れてしまっていることが多い。御言葉に触れた瞬間、心が潤ってくる。猛暑の日々も、デボーションや祈りで守られ、心は瑞々しく歩んでいこう。