2010年11月28日(日)

「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人のものだからです」マタイ5:3


謙遜とは、本当は自分には力があるが、それを人に見せびらかさない、という事
ではない。本音で自分は無力だと思っている事だ。取税人は真に自分の罪深さが
わかっていた。それゆえ、パリサイ人のように、人と比べる事など思いも及ばな
い。ただただ、神に赦しを求めた。神の前の自分を見ていた。そして彼は赦され
た。

モーセは40才の時に、自分の力で、同胞を救うために立ち上がった。しかし、
失敗し、荒野に逃れ、羊飼いとして40年の歳月を過ごした後、召し出された。40
年前と違い、老人になり、かつての栄光も栄華も何も無く、真に自らの無力を思
い知ったモーセは「私はいったい何者なのでしょう」と尻込みした。神に説得さ
れ、押し出された。

主の一番弟子であったペテロは、いつでも前面に出て、時に調子に乗り、出しゃ
ばってしまう自信家であった。しかし、目の前で大漁の奇跡を見た時に「わたし
から離れて下さい。わたしは罪深い者」とへりくだった。そして、主を3度否ん
だ後、大泣きして悔い改め、自らの徹底無力を知った。

心の貧しい者は幸い、自分の心底無力を知る人こそが、大いに祝福された幸いな
者だ。自分を誇らず、自分に頼らず、頼れず、主に拠り頼み、拠りすがって行く
からだ。砕かれて、無力を知って行く歩みこそが、実は最大の祝福だ。

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自分の弱さを知り、自分の無力を知る者が、幸いだと言われる。この世の価値観
と正反対だ。この世では強い事が良い事であり、弱みは決して見せてはならない。
弱さを認め、あるがままでおれる時、突っ張る必要が無く、その歩みは楽しく喜
びがある。