2011年03月29日(火)

「もし私たちが御霊によって生きるのなら、御霊に導かれて、進もうではありませんか」ガラテヤ5:25


信仰生活、常に正反対の二つの思いが目の前に来る。例えば、人から批判された時、プライドが傷つき、肉は怒り、敵対心、復讐心がメラメラと湧き上がる。背後にサタンがたきつけて来ている。しかし、片方、御霊の思いも来る。いや、それではいけない。まず祈ろう。主のもとに告げて、主に対処して頂こう。敵をも愛せと言われている。しかし、肉は、怒りで、反撃がしたい。御霊は不用意に思慮無く、言葉を発するなら、取り返しがつかなくなると言われる。

これら二つの思いがある。これは私たちの選択だ。カインとアベルの献げ物の箇所で、カインの献げ物には目も留められなかった時に、怒りが湧き上がった。しかし、主は怒りを治めよと言われた。カインは憤りを治める事をせず、なされるがままに、飲み込まれて行った。その行き着く先はアベル殺害であった。

御霊は罪を示し、気づきを与えて下さる。それを無視して行くと、罪にコントロールされてしまう。神は私たちを愛しておられるので、軌道修正し、導いて下さる。日常生活で、様々な問題が起きるが、御霊は、私たちを御心の道へ導こうと、語り、導いて下さる。様々な気づきを与えて下さる。その示された気づきに従って行くことが祝福だ。肉とサタンはそれを妨害して来る。「わたしを呼べ」と言われる主に、助けを求めよう。そして、御霊の導きに従おう。御霊の実を結ぶ。
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肉に働くサタンの声を意識しているなら、逆に御霊の導きもはっきりと聞こえる。いつも感情がコントロールできなくなる自分の弱いところを見張ってみよう。必ず二つの声がする。主を呼び御霊の声に従おう。