2011年05月29日(日) 「確かに、私たちは見るところによってではなく、信仰によって歩んでいます」 Uコリント5:7
「確かに、私たちは見るところによってではなく、信仰によって歩んでいます」 Uコリント5:7
信仰とは何だろう。信仰とはこう言えるかも知れない。「目には何も見えず、耳 には何も聞こえず、手で触れるものも、つかめるものもいっさい無く、何も感じ る事のできない、真っ暗な中で、御言葉を握って、御言葉に立つ」ことだ。 「信仰は聞くことから始まり、聞くことはキリストについてのみことばによるの です」。私達は、通常五感によって生きている。視覚、聴覚、触覚、臭覚、味覚 に頼って生きているので、これらからの情報を真実として受け取り、信じている。 しかし、「信仰」はこれらの五感ではいっさいわからない。感知できない、得ら れない。霊の部分であり、領域が異なるのだ。五感で何も感じる事が出来ない、 真っ暗闇の中で、しかし、御言葉を握って、御言葉に立つ時、別の領域に、「霊 の領域」に立つ。 五感では感じる事が出来ない事をふまえておく事は大切だ。普通の日常生活は五 感に頼って生きているので、信仰も、どうしても感じようとしてしまう。どこま でも五感に頼ってしまう。そして、感じなければ、信じられない。感覚に頼って 行くと、迷路に迷い込む。 主は「感じ」に依存するのでなく、主に頼るように、何の「感じ」も無い中で、 御言葉を信じて歩むように、訓練して下さる。まず感覚でなく、御言葉に根差し ていよう。 ・・・・・・・・・・・・・・ 信仰を感じようとすると、迷路に迷い込んでしまう。感じる事ができないからだ。 常に五感で生きているので、それを用いてしまう。感じる事ができなければ不安 になる。しかし、感じることができなくても良いなら、安堵だ。御言葉を拠り所 に歩む事ができる。