2011年07月29日(金)

「あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に十分にあります」マタイ6:34


  
私たちには、明日の事は全く見えない。わからない。見えないので、不安に襲われてしまう。あの事は、この事は・・と考えても、見えないので、不安と思い煩いに支配されてしまう。そして、不安は不安を呼び、幾ら大丈夫だと思っても、得体の知れない不安感が、泉のごとく湧き上がって来る。あなたも経験があるだろうか。ネガティブ思考に取り込まれてしまう。それも最悪を想像してしまう。周囲から、大丈夫だからと慰められ励まされても、どうしてもだめなのだ。

自分でわかっているが、どうにもならない。主はそれもご存じで、この日、「今日」を考えてごらんと言っておられる。今、現在、何か不足があるか?常に、今日は必要が与えられている事に気づくようにと。その「今日」の連続が一生だ。果てしない明日を心配し恐れるより、今日、満たされている事に感謝してはどう
だろう。

ある独り身の高齢の婦人は、「だれが心配したからといって、自分のいのちを少しでも延ばすことができますか」の御言葉が、心底入って来て心から納得できた。今日、飢えていない、身体が守られている。御言葉を見つめ、「今日」を心底感謝していると、喜びと更に感謝が溢れた。そして、今日こんなにも良くして下さっている主は、必ず将来の必要を与えて下さる。信じていると、不安、思い煩いが全く消え失せたと。明日は委ねて、今日、精一杯感謝して生きよう。
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まだ来ない明日に恐れはあるけれど、心配して今日を過ごすより一日の感謝を数えてみよう。昨日思い煩っていても、違う新しい朝を今日も神様は与えて下さった。明日は委ねていよう。