2011年11月28日(月)

「この世と調子を合わせてはいけません・・神のみこころは何か・・わきまえ知るために」ロマ12:2


信仰生活で、祈りと御言葉が大切、デボーション〃と、しょっ中言われるが、なぜ日々みことばが必要なのだろう。この世で生きている私達は、日毎にこの世の価値観に、凄まじい勢いで襲われ、さらされ、攻撃を受けているからだ。意識すると、すまいと凄まじい攻撃にさらされ、その影響下にいる。御言葉と、全く正反対の価値観だ。逆行している。

この世は地を目指し、自らの判断と知恵を根拠に、自分の栄光のために生きる。富、豊かさ、地位、名誉、人からの賞賛、それが栄光だ。生きる源であり、力だ。私達は天を目指している。御言葉を根拠に、神の御心を行なおうとし、神のために生きようとしている。私たちは天を目指し、天に宝を積むために生き、世はこの世での成功、世での楽しみ、世での自己実現を目指して生きる。

真逆だ。サタンは価値観の部分に影響を与え、巧妙に誘惑を仕掛ける。価値観さえ自分のものにすれば、いとも簡単に行動を操作できる。御言葉や祈りから離れると、クリスチャンもすぐに主から目が離れ、自分の損得、自分の賞賛、自分の欲望、自分の都合のために生きてしまう。

根深い古い性質があるからだ。御言葉がどう言うかでなく、自分の判断で都合の良いように行動する。御言葉はその自我や肉の判断に日々気づかせ、軌道修正してくれる。日々御言葉に触れ、御言葉によって自分の考え方が変えられて行く。そのために御言葉がどうしても必要だ。
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この世にあって、この世に同調しない生き方は本当に難しい。すぐに流されてしまう。朝ごとの祈りと御言葉により、しっかりとした基準、神さまに喜ばれる歩みとは何かを知り世に出よう。