2012年01月29日(日)

彼は地に倒れて、『サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか』という声を聞 いた」使徒9:4

                            

神のためにと、正義だと信じ、クリスチャンを迫害し、投獄し、殺害に燃えてい
たサウロ。エルサレムだけでは気が済まず、どんどんダマスコまで追いかけた。
その時突然、天からの光が来て、彼は地に倒れた。

そして「サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか」「町に入りなさい・・告げ
られる」との声を聞く。地面から起きた時、目が見えなくなっていた。倒れた時
に、パウロは御声を聞いた。神が倒されて、御声を聞かせられた。

私たちは全力疾走している時、脇の事は見えない。神は御声をかけられているが、
私たちの側で気づかない。倒れた時、行き詰まった時、失敗した時に立ち止まる。
その時こそが、御声を聞く時だ。

パウロは3日間、目が見えなかった。それまでの価値観、神に対する理解や信仰、
行動が崩れ去った事だろう。打ち砕かれどん底に落とされた。神のための正義だ
と信じきっていた事が、実は恐ろしい罪だと知った。

それ以後、180度変えられたパウロは、何もかもを献げて、生涯主の御声に従
う人に変わった。私たちも時に、立ち止まらせられる。挫折して、行き詰まって、
何もどうにも出来ない状況に陥る。主の御手だ。

主を脇に置いて、自分の力で、自分の思い、自分のプランで突っ走っている時、
主が立ちはだかって下さる。何らかの挫折か、行き詰まりか、問題か。砕かれ、
御声を聞いて、歩む者に変えられる。結果的に大きな祝福とされる。
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パウロは地に倒された。そして主の御声が臨んだ。自分自身も、自己満足で突き
進んでいてわからず、気づかないかも知れない。挫折で、問題で、立ち止まらせ
て下さる事は大きな祝福だ。放っておかれたなら、間違った方向に向かってしま
う。