2012年04月28日(土)

「しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありませ ん」ヨハネ4:14



このサマリヤの女性は、暑い真っ昼間に水汲みに来ていた。普通は涼しい早朝や
夕方に水汲みをする。それは人目を避けての事だった。主は、そんな女性に飲み
水を求められた。
そして、やり取りの末、夫を呼ぶようにと言われた。彼女は決して触れられたく
ないデリケイトな部分であり、「夫はいない」と答える。すると主が、夫が5人
いたが、今いるのは夫ではないと真実を告げられた。

彼女は罪の生活をし、過去の傷を背負っていた。5回結婚し、5回離婚し、今は
同棲中だ。その過去と現在のため、人目を避け、隠れた、縛られた生活をしてい
た。近所の噂の的であり、好奇の目で見られ、人々から軽蔑されていた事だろう。

この罪の原因は、心の渇きにあった。彼女は愛を求め、男性が自分を幸せにして
くれ、心を満たしてくれると信じ、結婚を繰り返した。しかし、渇きは癒されず、
暗い過去に行く手もふさがれ、喜びも希望も持てないでいた。

主は、彼女の渇きを、心の空虚をご存じであり、彼女のために、サマリヤを通ら
れた。主は、決して渇く事のない、生ける水を与えられた。彼女は180度変えら
れ、人前に出て行き、主を伝えた。

彼女の心は解き放たれた。彼女に目を留められた主は、あなたに目を留めておら
れる。主に出会った経緯を振りかえる時、主のあわれみと慈しみに感謝が溢れる。
過去は赦され、癒される。心縛られていたものから自由にされる。

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主は心の奧の渇きをご存じだ。彼女は、痛い傷に触れられた時に逃げなかった。
それゆえ赦され癒された。私たちにも、主は更に深い交わりに入れるために、妨
げているものを示される。逃げずに、主と向き合う時、更に親しく主を知って行
く。