2012年06月28日(木)

「私たちはぜひとも、上って行って、そこを占領しよう。必ずそれができるから」民数記13:30


モーセは、約束の地カナンに12人の斥候を送って、偵察させた。10人は、カナンの地は、乳と蜜の良い地だが、民は強く、町は大きく、城壁を持ち、上って行けないと言った。しかし、ヨシュアとカレブは、主が共におられるなら占領できる、上って行こうと言った。彼らは私たちのえじきとなり、彼らの守りは取り去られていると。だが、民は恐れ大声で叫び、夜通し泣き、エジプトへ帰ろうと言った。

全く同じものを見て、不信仰の目には恐怖、不安、難攻不落、不可能の大砦しか見えない。だが、信仰の目には、可能、占領できる、自分たちの餌食だと見える。彼らがいた地からカナンまでは、ほんの少しの距離だった。しかし、つぶやいた民たちは、この後40年間、荒野をさまよう事になった。彼らは神の言葉を聞いた。しかし、み言葉がそれを聞いた人たちに、信仰によって結びつけられなかった。

結局、不信仰のゆえに、カナンには入れずに、荒野で死に絶えてしまった。主が約束を与え、素晴らしい祝福を用意して下さっていても、もし、私たちが信じて、従わなければ、それを手にする事はできない。彼らが不信仰にならずに、信じて従っていたなら、素晴らしい乳と蜜の流れる地に入れたであろうに。御言葉に立ち、神を信頼したヨシュアとカレブと新しい世代が、約束の地カナンに入って行った。
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目の前の状況と、み言葉にはいつも大きなギャップがある。どちらを見ているだろう。神様がすでに備えていて下さる祝福から目をそらさず「必ずそれができるから」とのみ言葉に立ち、恐れず確かなものとして実現させて行こう。