2012年10月29日(月)

「だれもみな自分自身のことを求めるだけで、キリスト・イエスのことを求めてはいません」ピリピ2:21


八百万の神があり、小さい時からずっと偶像を見て育って来た日本人は、祈りにしても、くどくどと、多く祈れば答えられると勘違いする。数珠を繰りながら唱えたり、経本を時間をかけて唱える姿を見るので、それが祈りだと潜在意識にあったりする。しかし、主は、「あなたがたがお願いする先に、あなたがたに必要はものを知っておられる」愛と慈しみの主だ。くどくどと祈る彼らの真似をするなと言われる。

又、偶像は、どこまでも、自分のための神だ。商売繁盛であり、家内安全、五穀豊穣、無病息災、交通安全・・。ああして欲しい、こうして欲しいと願い、もし願いが聞かれないなら、そんな神は払い下げだ。そして他の神へと向かう。願いがかなわないような神は必要無い。欲しいのは、ただただ自分の願いを叶えてくれて、都合の良いように動いてくれる神だ。つまりは、自分を中心に人生が回って欲しい。

人生途上で神に出会ったクリスチャンも、長年培われた自分軸の根深い価値観が底にある。神は、あくまでも自分のためであり、祈りですら神を利用していて、気づかない。肉の価値観には、神の栄光のために、などという発想は無い。しかし、そこに気づいて、認めて行く時に、変えられて行く。御霊からの気づきが大きな祝福だ。気づきから始まる。自分のためにしか生きる事のできない者が、神のために生きて行く者へと変えられて行く。これこそ奇跡であり、大きな感謝であり、喜びだ。
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神のために自分があることをまず求める事が大切だと教えられる。どこまでも自分を優先している時に必ず平安はなくなり心に示しがある。一つ一つ取り替えられた歩みに進みたい。