2013年01月29日(火)

「話が終わると、シモンに、『深みに漕ぎ出して、網をおろして魚をとりなさい』と言われた」ルカ5:4


ペテロたちは夜通し漁をした。しかし一匹も獲れなかった。漁の網は重く、徹夜での漁で、身体は疲れ果てていた。その重い網を洗い、一刻も早く家に帰り、休みたかったろう。しかし、深みに漕ぎ出して、網を下ろせと言われる。自分はベテラン漁師であり、他のことはどうあれ、漁に関してはプロとの自負がある。先生は、立派な方で、愛や赦しや、神の国のことを教えて下さる方、だが、漁については素人であり、自分は専門であり、よく知っている。普通の人の反応だ。

自分の方がよく知っている事に関しては、他の人に、ああしろ、こうしろと言われても、なかなか聞けない。しかし、ペテロは、先生の言うことであり、魚などいるわけがないと思ったが、自分の経験もこの世界の常識も横において「先生、おことばどおり、網をおろしてみましょう」と答えた。すると、奇跡が起きた。いるはずの無い魚がいて、更に大漁だった。ペテロは、主の足もとにひれ伏して「主よ。私は、罪深い人間です」と言った。

ペテロは、従った時に、「先生」から「主」に変わった。私たちも、自分の思い、常識、経験を横に置いて、「でも、おことばどおり」従って行く時に、まことに主であることを知る。自分の思いや常識、過去の経験の浅瀬にいるなら、「深みに漕ぎ出して、網を下ろせ」と私たちにも言われる。
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浅瀬で漫然と繰り返していることはないだろうか。特に変える必要も感じていない生活の中の習慣であったり。深みに漕ぎ出す準備をもって、今朝はみ言葉を読んでみたい。