2013年02月26日(火)

「女奴隷の子は肉によって生まれ、自由の女の子は約束によって生まれたのです」ガラテヤ4:23


神はアブラハムに「あなたの子孫に、この地を与える」と言われた。天を見上げ、あなたの子孫はこの星のようになると。アブラハムとサラに子供を与えると約束された。しかし、待てども〃なかなか与えられなかった。どうなっているのか、そんな中、サラは考えた。あの御言葉は、もしかして自分が産むことではなくて、他の者によって与えられるのではないのか。

そこで自分の奴隷ハガルを夫に与えた。アブラハムは、自分の意志ではなく、サラの申し出であり、受け入れた。ハガルはみごもったが、高慢になり、子供のできないサラを見下げるようになった。主の取り扱いがあり、無事イシマエルを産んだが、うまく行かず、ハガルとイシマエルは家を出されることになって行く。

ここから学ぶことができる。サラは、御言葉は信じた。否定したのでも、捨てたのでもなかった。しかし、自分の思いを御言葉に入れ、自分の思いで解釈した。幾ら待っても約束の子供が与えられない。待ち続けるのではなく、考えられる方法を思い巡らし、子供を持つのは、奴隷によってだと結論した。

しかし、それは肉だ。肉の性質は、御言葉を自分の思いで、自分の都合の良いように、受け取ろうとして間違ってしまう。肉の思いは、御心を行なうことの邪魔をするので、御言葉を御言葉の通りに、その通りに受け取れるよう、助けを仰ごう。
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長く祈らされる場合など、待っているだけでは駄目かも知れないと、自分の性急な判断が邪魔をしてくる。それは、しっかりと御言葉に立っているのか、動く前によく祈ろう。