2013年04月28日(日)

「私は御前に自分の嘆きを注ぎ出し、私の苦しみを御前に言い表わ します」詩篇142:2


信仰生活で、苦しい時、辛い時、悲しい時を、必ず経験する。そん
な時、どうすればよいのか。その心をどこに持って行けばよいのか。
聖書に答えがある。

「主よ。いつまでですか」「私を永久にお忘れになるのですか」
「いつまで御顔を隠されるのか」「主よ。黙っていないで下さい」
「私のたましいは御前で絶望しています」「主は、いつまでも拒ま
れるのか」「神はいつくしみを忘れたのだろうか」「私の心には1
日中悲しみがあります」・・

ダビデや詩篇記者は、赤裸々に、自分の嘆き、苦しみ、辛さ、悲し
み、怒りを主に訴えている。問題の無い振り、大丈夫な振りをしな
いで、又、隠さずに、ネガティブな事だと否定してしまわずに、率
直に、あるがまま、そのままの心の内を告げている。

詩篇を見て行くと、心の嘆き、叫び、募る思いを、ことごとく主に
告げて行った後、後半が賛美と感謝に変化している。一体、いつま
でこの状況が続くのか、と訴えた後には、「私はあなたの恵みに拠
り頼み、私の心はあなたの救いを喜びます」「主に歌を歌います」
と心が変えられている。

不思議だが、主に叫び、主に訴えて行くことで、正直に主に心を告
げてゆくことで心が変えられ、成長して行ける。とにかく主に向か
う事が大切だ。自分の内に悶々と、とどめるのでなく、主に向かお
う。心が変えられることを経験する。

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詩篇では、率直に嘆きを不安を、怒り、苦しみをそのまま主に訴え
た後、後半が讃美に変わっている。主に聞いて頂いて、受け止めら
れた時に、心が平安に変えられる。主は受け止めて、最善をして下
さる。今の苦しみをことごとく打ち明けよう。