2013年05月29日(水)

「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない」ヘブル13:5


信仰生活の中で、主を遠く感じる事があるだろうか。なぜかわからないが、いつもと感じが違う・・。もし、罪があるなら、すぐ悔い改めることが必要だ。罪は、主と私たちの間を遮断し、平安を奪う。「あなたの咎が、あなたの神との仕切りとなり、あなたの罪が御顔を隠させ」の通りに。御霊に心を探って頂こう。

しかし、罪や自分の問題でなく、信仰の試み、訓練として与えられる事がある。私たちが、感覚がすべてで、感覚だけに頼らないように、時に、「感じ」を取られる。誰しも経験する。信仰の成長のためには、どうしても必要だ。見える所だけを見ると、見捨てられているように感じる状況かも知れない。しかし、そんな時こそ、感情に依存しない事を訓練される。何の感情も無く、何も見えずとも、主を信じ続けて行くこと、それこそが真の信仰であり、真の礼拝へと導かれる。

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません」。主が喜ばれるのは感情でなく、信仰だ。人はどうしても感情に依存しがちなので、時に主が取り扱われる。そんな時は神の不変のご性質に思いを馳せよう。神の愛は決して変わらない。神の真実も変わらない。「私たちは真実でなくても、神は常に真実である」。詩篇記者も神に近く感じる時と遠く感じる時を通った。「主よ。なぜ、遠く離れてお立ちなのですか。苦しみの時に、なぜ、身を隠されるのですか」。そんな時は、記者のように、あるがままの気持ちを主に訴える事ができる。
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いつも曖昧な「感じ」に陥るが感覚を重視するなら信仰を支えているのは自分の感情ということになる。環境や感情を見ず、この約束の御言葉にしっかりと立ち、今朝も真っ直ぐに神様を見て行こう。