2013年07月29日(月)

「ですから、すべての汚れやあふれる悪を捨て去り、心に植えつけられたみことばを、すなおに受け入れなさい」ヤコブ1:21


まず御言葉を聞く前に、すべての汚れやあふれる悪を捨て去る必要がある。怒り、汚れ、悪が心にあると、御言葉が入らない。罪がシャットアウトしてしまう。主の十字架のもとへ行こう。「その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめて下さいます」。そして、神が私たちを創造した時に、人格を持つ者として造られた。つまり、自由意志が与えられている。

ロボットなら、自由意志が無いので、罪を犯すことはない。そして、所有主の意のままに動かすことができる。しかし、そこには心が無い。心と心を交流し、愛や喜びを共有することもない。愛は、自発的な、自由な意志に基づく。強制に、愛は無い。主は、自発的、自由意志で、主のもとに来て、仕えることを求められる。強制されることはいっさい無い。「だれでもわたしについて来たいと思うなら・・ついて来なさい」の通り、自由だ。

御言葉は種であり、私たちの心は土地だが、土地が種を受け入れるかどうかは、私たちに任せられる。素直に御言葉を受け入れることもできるし、拒否することもできる。自由だ。自由な意志により、素直に受け入れた御言葉が、心に深く入り、御霊が働かれ、みわざがなされる。様々な困難な状況の中で、御言葉により生かされ、指針が示され、力が与えられ、救いを経験する。
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すなおに受け入れれば良いだけなのに、固くなった土地には簡単に御言葉が入って来ない。すなおに御言葉を受け入れようとする人は、罪にも敏感でいられる。御言葉を受けとり、心新しく耕されよう。