2013年08月29日(木)

「王は軍勢の多いことによっては救われない。勇者は力の強いことによっては救い出されない。軍馬も勝利の頼みにはならない。その大きな力も救いにはならない」詩編33:16


常識的な考えでは、戦いに勝利するのは兵士の数による。千人と一万人では、一万人が有利に決まっている。戦いの常識であり、普通は多い方が勝つ。それが、詩編記者は、勝利は兵の数によるのではないと言う。普通の考えや常識と正反対の事を言われると、私達は非常に戸惑う。常識によって生きているからだ。

神の言葉と信仰と言いながら、実際は常識や、自分の考えで生きているだろうか。信仰と言いつつ、現実生活では、利得計算高く、頭でソロバンをはじきながら生きていて、軍勢の多い少ないで判断している。つまり自力だ。これなら自分の力の範囲内で行ける、これは無理と。頭の中で計算し処理していないだろうか。五つのパンと二匹の魚の箇所で、ピリポが、主から、群衆にどうやってパンを食べさせようかと言われた時に、持ち金では足りません、無理ですと答えたように。不可能と結論を出してしまう。そこに神の入る余地がない。

しかし、詩篇記者は、勝利は兵の数ではなく、神によると言った。神に信頼し、神の指揮によって進むなら、問題が問題ではなくなってしまう。兵の数=自分の力や、様々な障害や困難だが、それは問題でない。ただ一つ、神の御心かどうかだけが問題だ。軍勢の数で頭が回っていないか。救いは軍勢ではなく神による。御心が示されているなら、主を信頼して前進しよう。
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常識ではなく主を信じ、前進し始める時さらにはっきりと主による展開が見えてくる。幼子のような素直さで恐れや不安も主に告げながら進もう。