2013年10月28日(月)

「天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。生まれるに時があり、死ぬのに時がある」伝道3:1



「何事にも定まった時期があり」とあり、何事にも、時が定められていると語られているが、それは宿命のような冷ややかな感じのものではない。神が目的をもって選ばれた、そのものに最もふさわしい「時」という意味だ。「すべての営みに時がある」すべての事に、それぞれにふさわしい時がある。主が御心とされる最善の時だ。その時が必ず来る。この信仰に立つ時、そして、この主に委ねて行く時、平安、安堵が来るのではないだろうか。

弱い私たちは、「待つ」ことが一番難しい。なかなかできない。目の前の状況が不安で不安でたまらなくなり、そのため祈って、待ち望むことをせずに、自分の力で、肉で動き出してしまう。神が、アブラハムに、サラとの間に与えると約束された、イサクを待つことができずに、女奴隷ハガルにより、イシマエルを産み出してしまった。肉で動いてしまった。それは神の秩序を乱し、大きな悩み、問題となって行った。

じっと待とう。目の前だけを見ていると、状況が動くなどとは、とても考えられない。しかし、全く微動だにしなかったものが、神の時になると、不思議に事態が、状況が動いて行く。今までにも経験しただろうか。「神の時」を待とう。そして、時が満ちて、神の示しが臨んだなら、祈りの座から立ち上がり、ぐずぐずせずに、すぐに従おう。
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神様の時を待てないでいると、思いの中に様々な策が浮かび、また失敗もする。自分の思いも時も委ねながら忍耐して神の時を待ち望もう。一番良い時が備えられていること、感謝だ。