2013年12月29日(日)

「散らされた人たちは、みことばを宣べながら、巡り歩いた」使徒8:4


サウロは、ステパノ殺害に賛成していた。聖霊に満たされたステパノの見事な力に満ちた証しを目の当たりにして、サウロは憎悪に燃た。キリストを神と仰ぎ、救い主とする、クリスチャンは天敵以外の何者でもなかった。激しい怒りと敵対心、憎しみを更に増幅され、抹殺の意を固くした。

反面それはサウロの救いの伏線ともなった。ステパノの厳かな殉教の死により、更に迫害は激しさを増し、荒れ狂った。サウロは憎悪に燃えて、教会を次々と荒らし、家々に入って、容赦なく人々を引きずり出し、投獄して行った。

そのため信徒たちは四方へ追いやられ散らされて行った。皆が、散りじりになってしまった。では、この苛酷な迫害で、信徒たちは意気消沈して、気力を失い、教会は壊滅して行ったのか。決してそうではなかった。迫害から逃れるために、あちこちにバラバラになり、散らされた信徒たちは、何と「みことばを宣べながら、巡り歩いた」。

結果的に見れば、この迫害による離散によって、返って福音が大々的に伝えられる事になってしまった。信仰の火が消えるどころか、どんどん燃え上がり、福音は四方八方に拡大されて行った。

私たちの信仰人生も同様だ。「どうしてこんな事が!」「なぜこんな苦しみが?」それが思いを遙かに超えた展開へ導かれて行く。神のみわざだ。今、あなたも見えるところは真っ暗だろうか。主を信じて待ち望もう。今の苦しみが御手により、最善の結果へと導かれて行く。いつも希望がある。

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迫害の苦しみによる離散が、多くの人々の救いへと展開して行ったたように、私たちの突然の「何で?どうして?」の事態が、主の栄光へと展開して行く。目の前の苦しい問題が、必ず主の素晴らしさを知れる事になると、信じて行こう。