2014年02月26日(水)

「人の心には多くの計画がある。しかし主のはかりごとだけが成る」箴言19:21


人には、これが最善と思う様々な考えがあり、計画がある。しかし神にもプランがある。ヨセフは、思いもよらぬ歩みへと導かれた。父親に特別扱いされた事で、兄達たちの妬みを買った。ヨセフを憎む兄達により隊商に売られ、突然、遠く異国の地へ。孤独、不安、恐れ、心中はいかばかりだったろう。しかし、エジプトの地で、買い取られた主人に仕え、好意を得、何と全財産を任せられた。

「主が共におられたので」、これは主による事であった。しかし又も苦難が臨み、濡れ衣で投獄の身となった。まさにえん罪だ。しかし、そこでも「主が共におられ」監獄長の心にかなうようにされた。模範囚となりすべての囚人の管理を任された。やがて時が来て出獄かと思いきや、献酌官長との約束はきれいに忘れられ、尚も2年が過ぎた。

神の時は何と長いのだろう。結果的に2年だが、その渦中では、どんなに試され、忍耐が要った事だろう。最終的に総理大臣となり、飢饉の中、ヤコブや兄達の命を救う事になる。ヨセフが売られて以来10数年だ。彼らの救いのために、神が先にヨセフを送られた。ヨセフ自身にもプランがあったろう。神のプランは想定外であったが、結果的に親族の命を救う事となった。

そしてヨセフ自身も苦難の中で、練られ造り変えられて行った。今、思いもよらない状況にあるだろうか。「主が共におられる」、「主のプランがある」。信じて、委ねて行こう。必ず主の素晴らしいみわざを見る。
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最善の道と思っても主の目にはそうではないように、今が最悪の状態に見えても実は主の御心の真ん中であったりする。迷いやすく自分の行く道を理解できない。一日一日導きを求め、委ねるだけだ。