2014年03月29日(土)

「私たちはぜひとも、上って行って、そこを占領しよう。必ずそれ ができるから」民数記13:30


イスラエルは、出エジプトを果たし、約束の地カナンを目指した。
その時に12人の斥候がカナンの地を偵察に行った。結果、ヨシュ
アとカレブは占領できると言い、他の10人はできないと言った。

10人は、町々は城壁を持ち、そこの民は力強く、自分たちはいな
ごだのようだと。相手とこちらの能力を比較して、自分たちは負け
ると結論づけた。民は全員、それが正しく妥当な判断だと思い、エ
ジプトに帰ろうと言い出した。それに対して、占領できると言った
ヨシュアとカレブには誰一人つかなかった。

彼らが占領できると言った根拠は、神の「カナンの地を与える」と
の約束だった。そして、結局この中でカナンの地に入ったのは御言
葉を信じたこの2人だけだった。信じなかった人々は皆、荒野で滅
んでしまった。ここから、信仰とは神の約束を握ることであり、不
信仰とは目に見える困難を見ることだと学べる。

主が「向こう岸へ渡ろう」と、弟子たちと舟に乗られた途端、熟睡
してしまわれた。そこへ大嵐で、舟は波をかぶり水で一杯に。今に
も転覆しそうだ。熟睡中の主を起こし、文句を言った。「私たちが
溺れ死んでもどうもないのか」と。

しかし、主は「向こう岸へ渡る」と言われ、その言葉に立たれ、途
中何があっても大丈夫だと信じ、熟睡されていた。主の言葉か、目
に見える目の前の問題か、そんな時、主の言葉を握れるよう祈ろう。

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常に、目に見える状況と、主の約束の御言葉があり、どちらかを選
択している。状況を見ている時は、御言葉が飛んでしまい、状況が
巨人となって迫り、恐れと不安でいっぱいになる。御言葉のほうを
選び、受け取り信じて行く時、心が平安に変えられて行く。