2014年06月28日(土)

「そして、そのとおりにすると、たくさんの魚がはいり、網が破れ そうになった」ルカ5:6 


ペテロは、主から魚が全くいそうにない状況で、漁をするように言
われた。「深みに漕ぎ出して、網をおろして魚をとりなさい」と。
朝に魚はいない。そして、その前夜はどれだけ頑張っても一匹も獲
れなかった。怠けていたのでなく、懸命に働いた。しかし収穫はな
かった。

ましてや、こんな朝になどいるはずもない。「わたしたちは、夜通
し働きましたが、何もとれませんでした」、心はがっかりし、期待
感も失せ、ぐったり疲労こんぱいだ。しかし、主はもう一度沖へ漕
ぎ出して、網をおろせと言われる。

夜ですら魚がいないのに、朝にいるはずなどない、しかし、ペテロ
は「でも、おことおばどおり、網をおろしてみましょう」と、状況
的には、何の期待も持てない中、網をおろした。すると、驚いた事
に大漁であった。

「でも、おことばどおり」、御言葉が、自分の考えや思いと合わな
い時どうだろう。納得できる箇所は、OKだが、自分の思いと合わ
ないなら飛ばしたり、捨ててしまっていないだろうか。無意識でそ
うしていて気づかないかも知れない。「でも、おことばどおり」が
大切だ。

主が「網をおろして魚をとれ」と言われたなら、必ずそこに魚が備
えられている。失意の中で、御声に従った時に、大漁を見た。信じ
て網をおろし従おう。
主がまことの神であることを見て、ペテロは高慢で不信仰な自分に
「主よ。私のような者から離れてくださ。私は罪深い人間ですか
ら」と言った。しかし主は「これから後、あなたは人間をとるよう
になる」と言われた。そんなペテロこそがふさわしいと。

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「でも、おことばどおり」、自分の思いと違っても、示された、目
の前の御言葉に従ってみよう。理性では理解できなくても、御声に
従ってみよう。その時、主は魚も備えておられる。信じて導きに従
い、一歩踏み出そう。