2014年07月29日(火)

「・・すべて王が命じたとおりにした。その後、神はこの国の祈りに心を動かされた」Uサムエル21:14 




ダビデの時代に3年間続くききんがあった。3年もききんが続くとは、
非常に厳しい苦しい事態だ。普通、苦しい事があると「神様、助けて」
「この状況から救い出して」「すぐに何とかして欲しい」と祈るもの
だが、ダビデはそうではなかった。この事がなぜ起きているのか、主
は何を言おうとしておられるのか、主のみこころを問うた。この事の
原因を求めて行った。

すると、主は、サウル王の時代にギブオン人達を殺した罪があると示
された。イスラエルは、ギブオン人と盟約を結んでいたにかかわらず、
サウルは彼らを殺してしまったのだ。神は罪については、必ずその責
任を問われる。それに対してダビデは、ギブオン人達に「私は何をし
なければならないのか。何を償えばよいのか」と誠意をもって対応し
た。

彼らは、サウルの子供達を引き渡すよう要求した。ダビデは彼らの要
求に応えて償いをした。すると、その後、神はこの国の祈りに心を動
かされた。罪が祈りを妨げてしまう。ギブオン人にきちんと償うよう、
罪の対処をするようにと、主は飢饉を送られた。飢饉の御心を求めた
ダビデは正しかった。

しばしば、祈りが的はずれになってしまう。私達も、身に起こる様々
な出来事は、主から来ている。主には目的があり、無駄な事は一つと
してない。一つ一つの事を通して、何より主が教えようとしておられ
る事を、悟れるようによく祈ろう。その事の御心を求めよう。
-------------
聞かれた祈りばかりに目が行き、聞かれない祈りの原因が自分の側に
あることに気づけないでいるのかもしれない。一つ一つの祈りの周辺
をよく吟味し、主の御心はどこにあるのか悟れるように祈りたい。